内偵について
皆様、ごきげんよう。
どうやら、内偵という言葉の検索を経て、当ブログへお越しの方がちらほらいるので、
そのことについてお話しします。
私の場合は、数名の警察官が卵のパックのように玄関前に並んだあのお迎えの朝から遡って、数ヶ月間、内偵されていたと思います。
不審なことが多々ありましたが、逆の職務質問をすることは辛うじてしませんでした。
以前の記事で書いたように、
私が駅から出たら、そこで待ち構えていた男が、不適な笑みでこちらを確認しながら、タイミングを見計らっていたかのように電話し始めたりといった感じです。
他には店内でのつきまとい、それもかごの中も含めて気持ち悪いほど観察してくるなど。
ある商業施設では、恐ろしい目つきでマークしてくる男がいて、『私このお店を出たらあの人に殺されるかもしれない』と店員さんに助けを頼んだこともありました。これも警察だったのでしょうか。
また、電車の中で向かいに座っている男のスマホのカメラが、明らかにこちらを撮影している角度だったので、逆にその男を凝視し返してみたところ、慌てて角度を下げて、次の駅で降りていきました。
通勤ルートも把握の上で、乗り換えの駅に各担当が立っていて、撮影を交えながら数人がかりで帰宅まで見届けるので、もはやはじめてのおつかい状態ですが、乗り換えの組み合わせが何通りもある東京では、大変です。
また、マンションに無断で立ち入り、覗きや盗撮は余裕でします。堂々と違法駐車している黒いワゴンも度々ありました。
深夜に建物の前をウロウロしたり、
やっていることが、ストーカーと紙一重。
ちなみに、手配グループも張り込みの刑事も全部男性でしたが、彼らは街に溶け込む事が第一なので、見た目はとても警察には見えません。
サラリーマンを装ったスーツ姿か、学生のサークルにしか見えないカジュアルな格好か、ただのおっさんかです。
※オジ様という高貴なものではなく、オッサンです。間違えないで下さい。
いずれにしても、マダムが行くような青山のお洒落なカフェには付いて入って来れませんでした。庶民に成りすましているため、庶民的なお店には入れますが、高級レストランには入れません。ディズニーランドは男だけではもう絶対無理です。
ある日は、私が昼間から高級料理店でフカヒレを食べ終えて、お店を出たら警察が居ました。
お店以外で、それとは分からないように完璧なつきまといをしてみせるので、国費での専属ボディーガードがいるなんてどこのVIPだよと心の中で思わずつっこんだのは、ここだけの話です。
続く
メリークリスマス。
Merry Christmas!!!
ASKAおかえりなさい。
不起訴の件については、書きたい事が山ほどあるので、また別の記事で。
クリスマスイブに本人のブログにて発表された新曲を聞いて、泣けました。
「野球の話をするタクシードライバー 風が見える福岡」のところが絶妙すぎる。
最後のかすれそうな声での「ありがとう」も、色んな思いが凝縮されているのでしょう。これまでの歌とは明らかに違って聞こえる。
aska-burnishstone.hatenablog.com
ASKAの逮捕で思うこと
きっと、今回も有名人御用達の湾岸警察署に送られるのだろう。
ドラマ『踊る大捜査線』の舞台でもあったこの湾岸署では、ご飯の時間に音楽を流してくれるらしい。チャゲ&飛鳥の曲が流れるらしい。
音楽が持つ力は計り知れないと思う。留置場合宿を経験した自分にとっては、あの環境で音楽が流れることでどんなに救われるか、身に沁みて分かる。と言っても、自分が居た原宿では流れたことは一度もなく、精神的に参って睡眠薬等を飲んでいる人が多かった。
留置場では自殺防止が徹底されており、例えば、貸し出されるボールペンは特注品で先が5ミリも出ていなかったり、眼鏡を床に置くのも禁止、ジャム袋の切り端ですら確実に回収される。
物理的に何も与えられないのなら、音楽を流すのはとても効果的だと思う。薬を処方するより、遥かに良い。
名曲を生んだ国民的歌手、世に与えた感動の大きさを考えれば、少しくらいの嘘やワガママも許されたらいいのにね。
今回のは、逮捕状が出たとの報道が流れた直後に、ブログで本人が全てを否定している上、家宅捜索でも証拠は一つも見つかっていないとなると、、、。
今後を見守ろう。
足元を見る
靴は大事だと人は言う。一流ホテルやレストランではカードと同じくらい足元を見られる。銀座のクラブなんかでは、靴でお代が変わるらしい。
足元を見るとは、人の弱みに付け込むという意味の諺であるが、現代でも文字通り、足元の靴を見て人となりを判断することがある。
逮捕されて以来、内偵のトラウマもあってか、つい街で通りすがりの人や電車の中で目の前に座っている人の足元まで視線が行くのが私は習慣になってしまった。
サラリーマンらしきスーツを着た男性なのに、斜めがけのカジュアルな鞄を身につけている。そこで、足元を見てみたら、固くて重い走るのには適さない革靴だったら、なぜか安心してしまう自分が居る。警察たる者、いつ何時でも走れる靴を履いている筈だと。
こんな事を書いたら、私みたいな奴がいることを想定して、その先を読んで、アルマーニのスーツに、英国王室御用の革靴達という映画に出てきそうな紳士の身なりで内偵する警察が現れたりして。
逮捕された時に言われた事の中で、面白いものがあった。
「君は曜日を問わずOLの格好をしていたので、どれが会社か分からなかった」
確かに、毎日ヒールを履いているからだと妙に納得した。洋服はまだしも、靴が肝心なのかもしれない。膝から上が同じでも、ヒールとスニーカーの違いは大きい。
女性の場合、スカートに、ストッキングに、ヒールの靴という格好だと、入れない場所がほとんどない。ヒールさえ履いていれば、オフィスも一流ホテルのロビーもレストランも問題ない。都会で生きていた自分の足元が、いつの間にか、無難になっていることに気づかされた。
ちなみに男性の場合は、スカートの時点できっと職務質問対象となる。笑
勾留中は、生まれて初めてのサンダルを履かされ、地検に行く時もなんとそのまま護送車に乗る。足元が全員同じなのだ。そこには油性ペンで書かれた3桁の番号がある。
警察は、足元を見て判別していた。
調書
逮捕されてからの警察による取り調べは、噂の通り誘導尋問だった。
欧米の証人主義と比べて、日本の刑事裁判は完全調書主義と言われている。肝心なその調書は、逮捕する前から事件のシナリオはほとんど出来上がっていて、刑事が予めパソコンで作成している文章があり、取り調べではそれに沿って「確認」していく作業だった。つまり供述調書というものは、被疑者本人が書いた文章ではなく、警察による作文なのです。
取り調べのやり取りが一体どんな風だったかと言うと、(一部フェイクで表現すると)
刑事「事件当日は、丸の内にいたのか?」
私 「はい。」
刑事「一人でいたのか?」
私 「はい。」
刑事「フランス料理を食べたのか?」
私 「はい。」
刑事「その後、銀座に行ったのか?」
私 「はい。」
刑事「買い物したのか?」
私 「はい。」
刑事「洋服を買ったのか?」
私 「はい。」
刑事「赤い服か?」
私 「はい。」
刑事「先月は旅行に行ったのか?」
私 「はい。」
刑事「ニューヨークに行ったのか?」
私 「はい。」
刑事「友人と行ったのか?」
私 「はい。」
刑事「学生時代のか?」
私 「はい。」
刑事「一週間で帰ってきたのか?」
私 「はい。」
刑事「空港からタクシーに乗ったのか?」
私 「はい。」
刑事が投げかけてくる質問は一見疑問形ですが、見事に調べ上げている情報の列挙で、あまりに「YES」の連続なので、チャゲアスが頭を過りました。
何度も言うよ 残さず言うよ〜 SAY YES
その他、余計な質問としては、
刑事「いい大学を出てなぜこんな人生なのか?」
失礼すぎて吹いたwww
刑事「なぜこんなところに住んでいるのか?」
ほっといてww本当はビバリーヒルズに住みたい
刑事「なぜまだ独身なのか?」
むしろこっちが聞きたいwww
一方で、記憶が曖昧な部分については、覚えていないと答えると、誘導尋問で、警察側が予め見立てたストーリーに合致させたい思惑を感じた。
何より辻褄が合うように、ストーリーを一本の糸につなげたら仕事が終わりなんだなと。
私が勾留された理由。
逮捕されて原宿警察署の留置場に放り込まれた時、そこにいた外国人達にこう言われました。
「あなた可愛いから大丈夫」
「日本人だから大丈夫。きっとすぐ家に帰れるよ。」
長くここに居る彼女達は、入れ替わり立ち替わりやってくる仲間を見てきた統計によるのだろう。
二泊三日で帰れるだろうとのほほんと構えていたら、結果、全然大丈夫ではありませんでした。イケメン検事にうっかり勾留請求され、翌日の東京地裁での勾留質問で、迫真の涙を見せても駄目でした。「君の名は?」と聞かれて、石原さとみと答えるなどしたら余計に駄目だったと思います。
ところで、その勾留の理由が「逃亡の恐れあり」なのです。
なるほど、確かに動物である限り、逃亡の恐れは全員にありますからね。
更に、私の場合は、
一人暮らし、旦那なし、財産なし、結婚予定なし、協調性なし、家財なし、ホテル住まいというホームレス。
持たない暮らしの極みですが、検察から見たら、逃亡の要素満点な訳で。笑
失うものが何もない人って、弱いのか強いのか分からない。
ホリエモンの「ゼロ」を読んだ。
彼は5年の裁判を経て、懲役2年の実刑が決まり収監されたので、その長さからしたら、逮捕勾留のみの10日間だった私など到底足下にも及ばない訳ですが、同感する部分があった。
警察は身体的に拘束しても、人の頭の中まで拘束することは出来ない。塀の中に居ても、思考は続けられる。
だから、自由だ。
ある日突然、もちろん予告も前触れもなく逮捕された私は、着の身着のまま留置場へ放り込まれ、誰とも連絡が取れず、留置場では「神様がくれた長い休暇」と捉えて、読書に没頭したり、今後のことについて考えを巡らせたりして過ごしていた。
このまま20日間の勾留の後、もし起訴されたら最低三ヶ月は帰れないという状況だった訳で、家族、家、日常、人生、全部失う。
と一時は悲観したが、そもそも失うほど立派なものを持っていたのか?
財産なし、独身、協調性なし、人生に言い訳も未練もなし。最初からゼロだったと思えば、何も困らないではないか。ゼロどころか、マイナスからまた始めればいい。
刑事さんと弁護士に揃って言われた言葉
「捕まったからといって、人生終わりではないんだからね」
それが何の励ましにもならなかったのは、上記のように受け止めていたからかもしれない。終わるも何も、始まってすらいないのだ。