護送車から見た朝日は、人生で一番眩しい。
逮捕されたら、釈放されるまで、外の世界との接点は一切なく、護送車の中もカーテンが閉められ景色さえも見れないものと思っていた。
二日後に、検察庁に護送されるとき、マスコミの報道でよく目にした護送車に初めて乗った。
女子と男子は別の車両になっている。
護送される日は、手錠は骨にあたるほどきつめにかけられ、持ち物は、ハンカチとちり紙のみ。
ボディチェック、手錠の確認、点呼、全員一列にロープで連結されて、警察官総出で準備にとりかかる。
警察官の仕事がこんなにもハードで、やることが多いとは思ってもみなかった。
留置場を出る時、護送車に乗りこむ時、到着して護送車を降りる時、検察庁の建物に入る時、
「1、2、3、・・・総勢◯名っ!」と威勢のいい声が響き渡る。
表現しようのない実感が初めて湧いた。
自分が乗った女子車両は、原宿警察署を出たら、お台場にある湾岸警察署を経由して検察庁に向う。
外はまだ朝の8時台、ごく当たり前の通勤風景。
どんな思いで眺めていただろう。
お台場へ向かうレインボーブリッジに差しかかったとき、横長い護送車に、横向きに座っていた席からのパノラマビュー、そこにあったのは、
これまでの30年間の人生で一番眩しい朝日だった。
普段なら、乗っているのは景色が一寸も見えない東京の地下鉄。
人混みに紛れて、都会で匿名的に生きていた自分。
逮捕されてからは、名前の代わりに留置番号で呼ばれ、身体的には拘束されているものの、そこに自分の居場所があるような気さえしたのです。