手錠という名のブレスレット
今回、突然逮捕されて、生まれて初めて手錠をされましたが、
精神的ショックは全くありませんでした。
そこはかとなく、思いブレスレットをつけられているだけという感覚でした。
思っていたほど怖いものではない上、おもちゃのようで、何段階にも調整できるようになっていて、その時の「カチャカチャ」という音だけが今でも印象に残っています。
これに関しては、「黒子のバスケ脅迫事件」の被告人の意見陳述の中にも、似たような表現があります。
自分は昨年の12月15日に逮捕されて、生まれて初めて手錠をされました。しかし全くショックはありませんでした。自分と致しましては、「いじめっ子と両親によってはめられていた見えない手錠が具現化しただけだ」という印象でした。
<後半> 逮捕されてからの流れ(勾留→中間調べ→結論)
前半の記事
続きです。
4 勾留
逮捕二日後の検察調べで、勾留請求される結果となったら、翌日の裁判所での勾留質問は形式的なものなので、高い確率で勾留が確定すると言っても過言ではありません。
どのくらい形式的かと言うと、私の場合は、住所や名前等を言わされ、3分くらいで終わり、裁判官と目が合うことすらありませんでした。
ごく稀に、裁判官によって勾留請求が却下された場合は、その日に釈放となります。
(96時間のガイアの夜明け)
裁判官によって、勾留が正式に認められると、10日間コースの勾留が決定し、長期戦となります。(と言っても送検の日からのカウントなので、勾留質問から戻った夜、決定の結果を知らされた時には既に2日間が過ぎようとしているため、割とあっという間の印象でした)
私の場合は、「逃亡の恐れあり」「罪障隠滅の恐れあり」が理由とのことで、勾留状を見せられたとき、思わず吹き出しました。
5. 勾留期間中
この間に、随時刑事の取り調べ、地方検察庁に行って検察官の取り調べを受ける。
時間が足りなければ、10日間勾留延長となります。
6. 結論
最大20日間の拘留中に、検察官が起訴するか不起訴にするかを決める。
不起訴になれば、釈放されて帰れます。お疲れさまでした。
起訴の場合は、公判請求され、これも検察が裁判所に出した請求は、大体その通りになるようである。
起訴されたら判決が出るまでは、数ヶ月にわたって長期間拘束されることになりますが、弁護士が必死で保釈請求をし、それが認められれば、保釈金を積んで出ることとなります。
東京地検に順送と逆送
留置場では、朝6:30に起床。
布団をたたんで倉庫にしまい、点呼に、洗面に、朝ご飯が終わったと思ったら、
早々に、護送に行く人は「準備して」と言われます。
準備も何も、上下灰色のスウェットのままの格好で、もちろんすっぴん、持ち物はハンカチとちり紙のみなので、準備と言ったら「トイレに行っておくこと」だけです。笑
檻から出されたら、ボディーチェックを経て、手錠をはめられ、全員一列にロープで繋がれます。ムカデのようです。
護送車に乗り込むと、再度一人ずつ、手錠番号の確認などが行われました。
車内では、
会話は禁止。
目配せなどの合図も禁止。
足を組むのも禁止。
共犯は分かった上で乗せてるからな!何が言いたいか分かるな!目配せ合図するなよ!外を見ろ外を!(原文ママ)
とのことでした。
護送車に乗ったときから、退屈な長い長い一日の始まりです。
逮捕したら、警察は48時間以内に検察に身柄送検しないといけない決まりがあるので、
捕まった二日後に、護送車に乗せられて留置場から東京地方検察庁へ向かいます。
これを順送と言います。途中、他の警察署にも寄ってから行くのですが、私が乗った女子車両は、原宿を出た後、湾岸警察署を経由しました。
検察庁に着いたら、地下の同行室というところに収容されて呼び出しを待つのですが、
間違いなく、人生で一番長い一日です。
なぜなら、檻の中に、壁に沿って木の硬い長椅子だけがあり、割とぎゅうぎゅう詰めに座らされ、私語は禁止、時計がないので時間も分からないという状況の中で、永遠に待たされる訳ですが、
検察官と戦いに来た訳ではありません。そう、ここは、
お尻の痛さとの戦いの場なのです。笑
エコノミー症候群どころの騒ぎではありません。
この際、どさくさに紛れて代用監獄のひどい有様を書き連ねておくと、まず、来ているトレーナーを預けるのは最初しかチャンスがない。以後、預かってもらえないどころか、暑くて脱ぎたくても一日中着たままを強要される。
何をするにも手錠をしたままなので、ボディーチェックの度に靴下を脱ぐ時は困難、トレーナーを脱いだり着たりは、袖のところがどう考えても物理的に通らないので、布が張り裂けそう。
食事の時のみ片手錠にしてくれるが、それ以外は骨にあたるくらいきつく閉められてむしろ痛い。
ご飯は、コッペパン2本に、小学校の給食に出るジャムとマーガリンとパックのジュース。
全員が検事呼び出しを終えるまで、この監獄での待機が続きますが、全員が終わって東京地検から留置場への逆送はほとんど夕方なので、朝8時〜18時まで長時間拘束されることになります。
取り調べの5分のために、10時間拘束された訳です。
せめて、本を読ませるとか、
出番を午前と午後の部に分けるとか(運動会かよw)、
警察同様に、検事が留置場にやってくるとか。
なんとかなりませんか?
<前半>逮捕されてからの流れ(逮捕→送検→勾留質問)
逮捕されてからの流れを書きます。
1.逮捕
被疑者が警察に逮捕されると,逮捕後48時間以内に検察官に身柄送致されます。
被疑者を警察段階で釈放して,在宅事件に切り替えてから書類だけ送致される場合もあります。(これが48時間コースです)
2.送検 (逮捕の二日後)
検察に送検された場合、検察官は24時間以内(逮捕後、72時間以内)に釈放するか勾留請求をするか決めます。
その取り調べを受けるため、被疑者は全員護送されて検察庁へ出頭します。
・検察官が勾留請求をしなかった場合
釈放となり、身柄引受人が引き取って帰宅。それ以降は呼び出しがある度、出頭となります。(72時間コースです)
・勾留請求をした場合
もれなく翌日も護送車に乗って裁判所へ遠足です。
3 裁判所で勾留質問 (逮捕の三日後)
検察官が勾留請求を出すと、翌日、裁判所に連れて行かれて勾留質問があり、裁判所は勾留を認めるかどうかを決めます。勾留質問は、僅か5分程度の形式的なものでした。
裁判所の待機室には、
「ここは裁判所です。検察官から捜査のためあなたの身柄を拘束してほしいと請求がありました。これから勾留質問があるわけですが、弁護人選任権と黙秘権があります。・・・」
の看板があり、独特の雰囲気が漂っています。
※地方では、検察取り調べ→勾留請求→勾留質問までを一日で行うようだが、東京は事件が多いからか、二日間に分かれるので、待ち時間に本当に心が折れそうになる。
護送車から見た朝日は、人生で一番眩しい。
逮捕されたら、釈放されるまで、外の世界との接点は一切なく、護送車の中もカーテンが閉められ景色さえも見れないものと思っていた。
二日後に、検察庁に護送されるとき、マスコミの報道でよく目にした護送車に初めて乗った。
女子と男子は別の車両になっている。
護送される日は、手錠は骨にあたるほどきつめにかけられ、持ち物は、ハンカチとちり紙のみ。
ボディチェック、手錠の確認、点呼、全員一列にロープで連結されて、警察官総出で準備にとりかかる。
警察官の仕事がこんなにもハードで、やることが多いとは思ってもみなかった。
留置場を出る時、護送車に乗りこむ時、到着して護送車を降りる時、検察庁の建物に入る時、
「1、2、3、・・・総勢◯名っ!」と威勢のいい声が響き渡る。
表現しようのない実感が初めて湧いた。
自分が乗った女子車両は、原宿警察署を出たら、お台場にある湾岸警察署を経由して検察庁に向う。
外はまだ朝の8時台、ごく当たり前の通勤風景。
どんな思いで眺めていただろう。
お台場へ向かうレインボーブリッジに差しかかったとき、横長い護送車に、横向きに座っていた席からのパノラマビュー、そこにあったのは、
これまでの30年間の人生で一番眩しい朝日だった。
普段なら、乗っているのは景色が一寸も見えない東京の地下鉄。
人混みに紛れて、都会で匿名的に生きていた自分。
逮捕されてからは、名前の代わりに留置番号で呼ばれ、身体的には拘束されているものの、そこに自分の居場所があるような気さえしたのです。
留置場での一日のスケジュール
これは、留置場で過ごす日のスケジュールです。
(検察庁や裁判所に護送される日は、8時頃護送車に乗り込み、
発狂しそうなほど退屈で長い待機時間を経て、夕方戻ってきます。)
6:30 起床
| 布団片付け、洗面
7:00
| 朝食、スキンケア
8:00
| 運動(髪をとかす)
9:00
| 自由時間(取り調べ)
12:00
| 昼食
13:00
| 自由時間(取り調べ)
17:00
| 夕食
19:30
| 本回収、洗面、スキンケア
20:00
| 就寝時間
21:00 消灯、就寝
新聞や本をひたすら読んで過ごしました。
家での怠惰な生活に比べたら、早寝早起き、なんて規則正しいことか。
機内サービスのごとく食事が運ばれ、お茶かお湯かと聞かれ、
新聞や本、ティッシュを頼んだら持て来てくれ、
歯ブラシには歯磨き粉がつけられた状態で渡され、
部屋から洗濯物を預けたら奇麗になった状態で返ってくる。
ヒルトンホテルですか?笑
お弁当は冷めきっていて、質素なおかずで、確かに美味しくはないけれど、
海外放浪をしていた私にとっては、御馳走で、初心に返れば、日本のもちもちのお米にありつけることが幸福です。
買ったことがないような上下スウェットの楽な格好で、
寝そべって読書に没頭するのが、とても贅沢な時間とさえ思えました。
携帯も取り上げられていて、インターネットも見られない。
神様がくれた時間、与えられた試練。
女子の留置場生活 〜お風呂〜
留置場生活において、女子にとっての一番の不便は、4日に一度しかお風呂に入れないことだと思う。
一人が歯磨きをしている間に、それをうまく盾にして、足を洗ったり。
悪いことをして捕まっている連中が、文字通り、足を洗う訳です。笑
(担当官に見つかったら、怒声が飛んできます)
皆がキリンのごとく首を長くして待っているのが、この4日一度のお風呂の日。
留置場生活をしていると、あまりにすることがないので、もういくつ寝るとお正月ならぬ「あと何日寝たらお風呂」が共通の話題です。
お風呂ごときで、まるでハワイへ旅行に行くかのようなわくわく感なのがすごいです。
新聞を読むか本を読むか寝るかしかすることがなく、暇を持て余しているというのに、お風呂の日をカウントダウンして過ごしていたら、意外にも時が経つのがとても早く感じたのでした。
そんな待ちに待ったお風呂は、制限時間があって、一人20分間。
中は広々とした銭湯のようになっていて、奥に大きな湯船があります。(浸かっている人はいませんでした)
複数設置されているシャワーが、なんと立派なコンドミニアムタイプで、
自宅のよりも間違いなく豪華でした。
海外放浪をして、お湯が出ない、水さえも糸3本しか出ないという過酷さも経験済みの私にしてみれば、日本の留置場は五つ星ホテルに思えます。
大きな円形の口から落ちてくる幸せの熱々のシャワーを浴びて、外に出た時の爽やかな朝のこと、
留置場という「中」にいるというのに、今までにない解放的な朝なのです。